第25回:『ちぐはぐな身体』を読む。

1.武器をもたない抵抗

1-1.〈はずし〉〈ずらし〉〈くずし〉――あるいは抵抗について

 最後に読む本は、哲学者である鷲田清一さん*1『ちぐはぐな身体』(ちくま文庫,2005)という本です。この本のテーマは「衣服」「ファッション」ですが、鷲田さんは人類学の成果も取り入れつつ、「抵抗」ということを主題の一つにしています。そこで、今回は、〈ずらし〉や〈はずし〉や〈くずし〉といったことによる抵抗について取り上げたいと思います。

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 さて、この本は、ふつう抵抗とはみなされないようなことを抵抗としてみるという見方を提示しているように思います。ここで扱われている抵抗は、衣服についての制度的決まりに対する抵抗ですが、あからさまに抵抗するんだという明確な意思をもった行為、たとえば決められた制服を着るという制度に対して、抗議をしたり、制服を着ることを拒否したりして、その制度を壊すことを目指すといった行為ではなく、制服は着るんだけれども、ちょっと〈はずし〉たり、〈ずらし〉たりするやり方を「抵抗」とみるという視点です。
 鷲田さんは、個人の社会的属性(性別、職業や地位、おとなしいという性格など)を構成する装置としての衣服を「制度と寝る服」と呼び、衣服のそういう構成をあばくような服――たとえば、制服を変形した服とか、わざとむさくるしい格好、いかがわしい格好をするストリート・ファッションとか、あるいは服の文法をあえて侵す、ヨウジヤマモト(山本耀司*2)やコム デ ギャルソン(川久保玲*3)などのアヴァンギャルド(前衛)派のファッション・デザインなど――を「制度を侵犯する服」と呼んでいます[鷲田 2005:49]。そして、つぎのように言っています。

 先ほど「制度と寝る服」などという物騒ないいかたをしたけれど、たいていの服というのは個人のイメージについての社会的な規範(行動様式、性別、性格、モラルなど)を縫いつけている。その着心地がわるくて、ぼくらはそれを勝手に着くずしてゆく。どこまでやれば他人が注目してくれるか、どこまでやれば社会の側からの厳しい抵抗にあうか、などといったことをからだで確認していくのだ。が、それは抵抗のための抵抗としてなされるのではない。じぶんがだれかを確認したいという、ぎりぎりの行為、のっぴきならない行為としておこなわれるのだ。言うまでもなく、この過程はいつもそういうこととして自覚されているわけではない。ぼくらはファッションの冒険、(それがかっこよすぎるとしたら)試行錯誤をとおして、じぶんがだれか確定できないまま、じぶんの表面を、そういう社会的な意味の制度的な枠組とすり合わせつづけてきたのだ。[鷲田 2005:54-55]

 このように、制服を着るという従順な行為のなかで、それをすこし着崩すこと、あるいはモードという制度のなかで既成の服の文法をずらすようなファッション・デザインを行なうこと、それらの行為を「抵抗」として捉えています。それは、1980年代に明確に現れてきた人類学や歴史学における新しい「抵抗」の見方と呼応しています。

1-2.人類学的な「抵抗」論

 松田素二さん*4の「日常的抵抗論」については、前回の松本哉さんの本のときに触れましたが、ここでは、人類学者のシドニー・ミンツ*5 の抵抗論を紹介しておきましょう。ミンツは、藤本和子氏のインタビューに答えた本の『聞書 アフリカン・アメリカン文化の誕生』のなかで、アフリカから商品として連れてこられたアフリカン・アメリカンの奴隷たちの抵抗について、暴力に対して暴力で対抗する抵抗があったことを、まず指摘しています。そのような例として、ブラジル奥地の逃亡奴隷たちによる「黒人共和国」(=キロンボ、なかでもペルナンブーコ地方のキロンボ・ドス・バルマーレスは、17世紀初めから1694年に滅ぼされるまで約1世紀続いた)、ジャマイカの逃亡奴隷たちによるマルーン戦争(第1次1734年、第2次 1795年)や、唯一成功した戦いとなったハイチ革命(1791~1804年)、アメリカ合衆国南部におけるナット・ターナーの反乱(1831年)などの奴隷の反乱などが挙げられます。けれども、ミンツは、抵抗というものがすべて物理的な力をともなうものと考えるべきではないと述べて、つぎのように言います。

 これら[ナット・ターナーの反逆などの戦い]のほかにも、隠れたたたかい、とらえがたいたたかいが無数にあった。わたしたちがその意味を容易には理解できない種類のたたかい――仮病、自殺、サボタージュ、人工妊娠中絶、愚鈍をよそおうこと、毒物を使うことなどによる闘争。非人間的な社会の仕組みに圧迫された絶望的な状況のなかで、なんとか正気を失わずに生き延びるため、さまざまな手段を使い、かれらはたたかった。
 すべての抵抗が暴力をともなうものではなかったことは重要な点だね。非暴力の抵抗は抵抗と見なされないこともあり、それは頑固さ、無知、怠惰などという言葉で片づけられてきた。奴隷自身がそれを抵抗として意識していなかったとしても、やはりその本質からいえば、抵抗と定義されるべきたたかいもあった。
[質問]たたかいの手段の本質はどのようなものだったといえますか。
 かれら自身の生活の形をつくりあげるのに役立つ手段をえらぶ、という意図だろうね。かれらの態度は開かれたものだったから、先祖から継承したもので保持できるものは保持しながら、同時に自らの伝統の外にあるものでも、役に立つものならどんどんとりいれた。そうした抵抗と適応の総体的なプロセスを見ることこそが、アフリカン・アメリカン文化研究の中心的な課題だといえるね。[ミンツ 2000:36]

 このように、ミンツは、これまで抵抗とされていなかったこと、たとえばさぼったり愚鈍を装ったりすることなどを、「抵抗」として認めることが重要なのだといいます。それらは、たしかに明確な抵抗の意志をもった主体が行なう「抵抗運動」ではないし、状況に適応していることと区別がつきにくいものです。しかし、そのような実践を「抵抗」とみなさないと、たまに暴動を起こす武器を手にした少数の抵抗者以外の大多数の奴隷たちは、ただ受動的で従順に運命に従っていたことになってしまいます。実は、ナット・ターナーの反逆など、武器を手に立ち上がって戦うということが可能となるのも、直接に武器を手にしていない多くの「従順」にみえる奴隷たちの、情報網やネットワークを利用した「協同」なしにはできないものでした。かれらは普段から従順や愚鈍を装いながら、そのようなネットワークを作っていたのです。
 日常生活のなかで抵抗とは関係ないような形で、そのようなネットワークをつくること、それは、とりあえずは日常的な活動のためですが、そのようにつくられたネットワーク、すなわち〈コモン〉は抵抗の拠点にもなるのです。


【参考文献】
ミンツ、シドニー
 2000 『聞書 アフリカン・アメリカン文化の誕生』藤本和子編訳、岩波書店
鷲田清一
 2005 『ちぐはぐな身体――ファッションって何?』ちくま文庫

*1:鷲田清一(わしだ・きよかず)
1949年生まれ。哲学者、元大阪大学総長。専攻は臨床哲学・倫理学。現象学・身体論を専門としており、ファッションを研究していることでも有名。

*2:山本耀司(やまもと・ようじ)
1943年生まれ。ファッションデザイナー。1981年、パリ・コレクションにて当時タブー視されていた「黒」を押し出したショーを発表。高級既製服のブランド、ヨウジヤマモトを展開している。

*3:川久保玲(かわくぼ・れい)
1942年生まれ。ファッションデザイナー。「コムデギャルソン」の創始者兼オーナーデザイナー。モノトーンを基調にした、前衛的なデザインが特徴。

*4:松田素二(まつだ・もとじ)
1955年生まれ。人類学者、京都大学教授。特に東アフリカ都市をフィールドにして、出稼ぎ民社会の動態や民族生成のメカニズムを研究している。専攻は社会人間学。

*5:シドニー・ミンツ(Sidney Mintz)
1915~2015年。人類学者。カリブ海の農民や食文化に関する民族学的研究で知られる。 砂糖の歴史に関する著作に『甘さと権力』(平凡社)がある。

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