第5回:システム依存の都市型生活

5.自分たちで工夫することとモノの「近さ」

 国交省による月1度の「撤去」は、河川敷の住民に重労働を課すものですが、同時に、住民の情報交換や物々交換の場として利用されてもいました。そして、それは、鈴木さんにとって、家を「近いもの」にすることでもあります。

 国交省の撤去が始まってから、もう8年になるが、この家には材料を新しくした部分が一切ない。それなのに、今も壊れずに建っている。むしろ年月を経ることで、逆に木がなじんで強くなってきている。木は生き物である。時間を経るごとに木々同士がなじんでいくのである。見た目にもいい味を出してくる。
 しかし毎月1度撤去することが、家の清潔を保つことにもなっている。僕たちは年に1度大掃除をするだけである。家の解体まではしない。ここではすべての家が毎月生まれ変わっているのである。常に鈴木さんは、自分が住んでいる家のそれぞれのパーツがどういう状態なのか見て確認をすることができるのである。それは自分の家を長く大事に使う上で重要なことである。
 また、家を壊してまた直してという作業が2時間弱で終わるというのも注目すべき点である。家はそれぐらいで作れるものでいいのではないか?
 僕たちは家というものについて、建てるのが困難である、時間がかかる、修理なんて簡単にはできない、と思い続けている。だからこそ家というものと人間との間に距離ができてしまっている。
 しかし、鈴木さんにとって家は、非常に近いものとして存在している。大掃除の感覚で家を建て直しているのだから、修理・改築もお手の物なのである。自分は住んでいる家のことをすべて知っているのだと鈴木さんは言っていた。家はもっと分かりやすいものであるべきだと思う。[坂口 2011:165-166]

5-1.「近い水」と「遠い水」

 現代社会に住む私たちの多くは、「家」や「電気」を、専門家やシステムに任せてしまっています。それは、それらのモノを私たち自身では手に余るもの、「遠い」ものにしてしまっています。いいかえれば、専門家やシステムに依存することは、自分たちを「無能化」しているのです。ユニークな思想家のイヴァン・イリイチ*1は、かつて、近代のシステムの特徴を、「人々を無能力化する専門家たちによる支配」にあると言いました。専門家たちが設計したシステムによって提供される高度なサービスのおかげで便利になったように感じているけれども、それによって一人ひとりが自分たちの生活やいのちの世話をする能力を喪失していって、専門家たちのいうことに従うしかなくなっているというのです。しかし、鈴木さんは、「家」や「電気」を自分たちで作り、自分たちで工夫することによって、それらのモノをもう一度「近いもの」に取り戻しているのです。

 この「近い/遠い」ということを、環境社会学者の嘉田由紀子さん*2のいう「近い水」と「遠い水」という議論と関連づけてみましょう。嘉田さんは、『水をめぐる人と自然』(有斐閣,2003)という本のなかで、琵琶湖周辺の地域では1955年になっても人口の90%以上が井戸や川など、身近な自然の水を使って暮らしていたと述べています。その背景には明治以前からの自治的な水利組織や地域の自治の歴史があり、集落の中では農業用水の川は「里川」や「使い川」と呼ばれ、神さまがいると信じられ、川に汚水を流すことは強く戒められていたといいます。自分たちの使う水の清潔さは自分たちで保持していたわけです。このように琵琶湖周辺では井戸や川水、湧き水などを生活につかい、排水をけっして川に流さず、自分たちの使ういわば「近い水」の清潔さを保つなど、地域社会で管理することが昭和30年代まで続いていました。

 しかし、昭和30年代に「水道法」が制定され、全国的に水道が整備されていきます。そして高度成長期には、「水資源開発促進法」と「水資源開発公団法」が制定され、電力と都市用水、工業用水などの水資源の開発が国によって推進され、各地に多目的ダムが作られ、それに合わせて「河川法」が改正され、上流から下流まで「水系一貫管理」という原則の下に、慣行的な地域社会の水利権を国が一括管理するという形に転換していき、工業用水や水道のための取水施設も統合され、地理的にも生活に使う水の取水地点が遠くなり、水道水も土管などの中を通って見えないものになります。また川もコンクリートの堤防で囲われ、街の中の「里川」は暗渠化されていき、人々にとって地理的にも「遠い水」が供給されるようになっただけでなく、水の管理は地域社会から行政に移され、住民たちが手も口も出せないという点で社会的・心理的にも「遠い水」となっていったのです。
 この時代の水の「公共性」の論理は、「利便性」と「物質的な豊かさ」の追求にあり、それを国家による中央集権化によって推進していきます。水を大量に使い、大量に排水する、いわば「水の使い捨て」時代になっていったと嘉田さんは言います。それによって、取水の地点も排水の行き先も住民には見えず、住民は単なる水の消費者になっていき、自分たちが生活排水で川を汚しても気がつかない、気にならないようになったのです。それは水が「遠く」なったからでした。つまり、自分たちで(コモンとして)工夫していた水が、システムの供給してくれるものとなると、その水に対して自分たちでは何もできないようになるのです。

5-2.人びとの無能力化に抗する

 たとえば、哲学者の鷲田清一さん*3は、1995年の阪神・淡路大震災のときの話として、つぎのように述べています。

 阪神・淡路大震災のとき、西宮市で激震に見舞われた友人が、自宅近くを流れる河を見ながら、ため息混じりに言っていました。「目の前にこんなに水がたっぷりあるのに、水道が止まるとペットボトルがヘリコプターで運ばれるのを待つしかないんだよね」、と。[鷲田 2012:59]

 このようにシステムに依存した都市の住民は、システムが停止したとたんに、飲み水を確保するという、いのちに関する基本的なこともできないような無力な存在になってしまいます。システムによって管理された水は目の前にあっても「遠い水」です。都市の住民は、近くの川に水があるのに、水を得ることができなくなるのです。それがシステムや専門家任せによる人びとの「無能力化」です。人びとを最も無能力化し、自分たちの使うモノを最も遠いモノとしているのが原子力発電であることが、東日本大震災時の福島第1原発の事故によって如実に知らされました。それは実際には、専門家ですら何もできないようなシステムだったのでした。

 坂口さんは、「しかし、鈴木さんにとって家は、非常に近いものとして存在している。大掃除の感覚で家を建て直しているのだから、修理・改築もお手の物なのである。自分は住んでいる家のことをすべて知っているのだと鈴木さんは言っていた。家はもっと分かりやすいものであるべきだと思う」と述べていましたが、鈴木さんのやり方は、原子力発電という巨大システムの対極にあるもので、自分たちを「無能力化」することの拒否なのです。それは、モノを自分たちに近い存在に取り戻すやり方であり、何よりもそのようなやり方が愉しいものであり、人との交わりをつくるものであるということを見せてくれているように思います。


【参考文献】
嘉田由紀子
 2003 『水をめぐる人と自然』有斐閣
坂口恭平
 2011 『TOKYO0円ハウス0円生活』河出文庫(初版2008年大和書房)
鷲田清一
 2012 『語りきれないこと』角川ONEテーマ21(角川学芸出版)

*1:イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)
1926~2002年。哲学者、社会評論家、文明批評家。過剰に効率性を求めるがあまり人間の自立、自律を喪失させる現代文明を批判した。

*2:嘉田由紀子(かだ・ゆきこ)
1950年生まれ。京都大学農学部の学生時代は、探検部でタンザニアで半年間生活。京都精華大学教授から滋賀県知事に。現在、びわこ成蹊スポーツ大学学長。

*3:鷲田清一(わしだ・きよかず)
1949年生まれ。専攻は臨床哲学・倫理学。関西大学教授、大阪大学総長など歴任。現在は、京都市立芸術大学理事長・学長。

Copyright © 2016 KOUBUNDOU Publishers Inc.All Rights Reserved.