第12回:「自給」ということと自律・自治

2.「共=コモン」の回復

2-1.中央集権化で失ったもの

 さて、2つめのキーワードは「自給」です。それらはまた、「コモン(共)」というキーワードにもつながっています。ここで宇根さんが使っている「自給」ということばは、国レベルの「食料の自給」というときの自給とは意味が違っています。以下で見ていくように、それはむしろ相反する意味だと言ってもいいでしょう。

 食べものの自給すら「遅れた暮らし」だという思想が村に入りこんできたのが、1970年代だったと思います。農業の近代化は、生産技術からはじまり、とうとう暮らしにまでおよぶようになったのです。これとほぼ同時に、町村の小さな青果市場が、都市の大きな市場に合併されていきました。自給野菜の余ったものを出荷することは不可能になりました。こうして農家の仕事の自給は壊れはじめ、食べものの自給も衰退してきました。[宇根 2010:91]

 ここで注目しておきたいのは、交通や流通の中央集中化が「自給」を破壊してしまうという点です。それは、日本民俗学の祖である柳田国男*1が1926年に出した『都市と農村』で行なった中央集権化批判と同じものと言えます。柳田は、都市による支配が村落を衰微させた要因は、市場の論理によって村落を稲作中心の「純農村」にしてしまったことにあると言います。つまり、農業政策においても、米など一種類の作物だけを生産する純農のほうが市場にとって合理的であったゆえに、それのみを農業と見なして保護・育成するようになりました。そのため、他の食料や日常的な消費財を生産していた村落は、それら「農」から排除され、生活のための雑多な生産は都市における商品生産にとって代わられるという事態が生じました。日本の農村におけるローカルな多様性は均されてしまい、我々は中央市場に依存して消費するだけの存在になってしまったと、柳田は言っています。つまり、「農」のもつ包括性と多様性が、都市中心(東京中心)の市場の論理によって失われたことを90年前に指摘していたのです。

 そして柳田は、都市の資本の手を借りて交通網が整備された結果、2, 3の大都市の中央市場に向って輻射線状に道路や鉄道が造られ、それは「ただ東京への近路として珍重」され、いくつのも僻村を生じさせたと言います。大都市の商業資本による中央集権、中央市場による支配は、地方・地域の市場を蔑ろにして、「自己の生活方法を心なき外部の者に指導せられ、たとえば山清水の傍らで古びたサイダーを飲むような」「無用の商業」「不必要の消費」「無益なる輸送」を生じさせ、中央による支配と画一化を生むと批判しています。それを是正するために「大量取引の利益を制限して、短距離各地方の交通を盛んにすることは、決して望みのないほどの難事業ではない」と述べています[柳田 1991:528]。

2-2.近代化が壊した「百姓仕事の自給」

 宇根さんも、「農業の自給とは、仕事の自給、食の自給、文化の自給、まなざしや情愛の自給、風景の自給と一体となっている」[宇根 2010:98]と述べ、百姓仕事はそのような「包括的」なものだと言っています。ところが、国が食料自給率を高めるための政策として進めようとしているのは、大規模農家による麦の作付けの専門化(単作化)であり、それは、包括性と多様性をもつ「農業の自給」を破壊してしまうものです。つまり、国レベルで言われている「自給」(食料の自給)と百姓仕事の「自給」とはまったく方向が異なっています。宇根さんにとって、重要なのは後者の「自給」のほうですが、近代化は、「百姓仕事の自給」とそこにある包括性・多様性を壊していきました。

 まっ先に百姓仕事の自給が失われたのは、牛や馬の力です。そのかわりに耕耘機が入ってきた、というのはまちがいです。農業を近代化するために耕耘機が開発され、百姓がそれを購入するようになったから、牛馬が不用になり、それまで牛馬の餌だった畦草や山の草が存在理由を失ったのです。化学肥料が普及し、草を堆肥にすることも少なくなり、畦の草刈りという仕事はただ刈り倒すだけのむなしい仕事となり、家畜の餌の自給は消えました。同時に、堆肥を自給することも難しくなりました。この結果、肥料の自給ができなくなりました。
 このように近代化技術が、自給を壊していったのです。1950年代から普及してきた農薬ほど、百姓の自給を破壊したものはありません。(中略)害虫や病気がどれほど出れば、作物が危ないか(農薬に頼らざるをえないか)という判断基準と判断能力の自給を崩壊させられました。そういう技術が付随していなかったのですから、自給できるはずがなかったのです。[宇根 2010:100]

 壊された「百姓仕事の自給」は、牛馬の使用、畦の草刈りによる餌と堆肥の自給というように、そこに生息する動物や虫や植物などのバイオマスを利用した、多様性を基盤とする包括的でかつ循環的なものでした。そして、戦後の農薬という近代化技術は、判断基準と判断能力の自給を壊していったのです。宇根さんが使っている「自給」という語は、ほとんど「自治能力」や「自律」と意味が重なっています。

 農業の近代化技術が追放した自給の中でも、種子(タネ)の自給とお天道様の自給放棄は大きな禍根を残そうとしています。村から野菜の花が消えました。タネを自給しなくなったからです。現在では市販の野菜のタネはほとんど外国産です。タネを自分で採るには、花を咲かせて、実を結ばせないといけません。ダイコンやニンジン、ゴボウは、花が咲く前に出荷します。タネを採るには、さらに30日以上も畑に置かなくてはならないのです。エンドウも青いうちに食べますが、タネにするには、熟れて枯れるまでおかなくてはなりません。キャベツのタネはどこにつくのでしょうか。そもそもどんな花なのでしょうか。ニンジンは、ゴボウは、タマネギは、どんな花をつけるか想像もできない人が増えています。
 稲も、現在ではほとんど毎年タネを購入している百姓が多いようです。多くの野菜と違って、稲は籾(米)がタネなのですから、自給できそうなものなのに、なぜしないのでしょうか。
 一つは、苗まで購入している百姓が増えたからです。さらに、種子用の田んぼは、稲が倒れないように、病害虫が出ないように、肥料を控えますし、交配してあらわれた変化した穂が混ざらないように、抜き穂をしたりします。収穫も乾燥も貯蔵も別扱いしなければなりません。ようするに手間暇がかかるのです。
 どんな田んぼでも、数年自家採取をつづけていると、変化した穂が少し出てきます。中には、今までの品種よりもいいものが出てきます。これを採ってまくと、新品種があらわれるのです。しかし、そういう喜びよりも効率よく生産する方がいいという考え方が、タネの自給という百姓仕事を滅ぼそうとしています。[宇根 2010:101]

 近代化技術が「百姓仕事の自給」を破壊していったという例は、世界的に起こっています。たとえば、「緑の革命(Green Revolution)」がそうです。「緑の革命」とは、1940年代から1960年代にかけてメキシコやインド、フィリピンなどで、先進国の援助で大規模に行われた、品種改良されたトウモロコシ・小麦・コメの導入や、化学肥料・農薬の大量投入という技術革新です。

 「緑の革命」はたしかに、穀物の生産性の向上と大量増産をもたらしました。そこで使われた「高収量品種」(「奇跡の種子」とも呼ばれた)を作りだすのに貢献した研究者ノーマン・ボーローグ*2は飢餓から多くの人々を救ったという理由で、1970年にノーベル平和賞を受賞しています。けれども、1970年以降、「緑の革命」に対して、生態系の破壊や土壌の劣化、水の大量消費といった問題を指摘する批判があいつぎました。一方で、「緑の革命」擁護論も出され、評価はまだ定まっていません。

 けれども、その論争から抜け落ちている重要なことは、「緑の革命」が百姓仕事の自給や自治を破壊し、百姓の主体性を奪ったということにあります。つまり、土壌の劣化や水の大量消費や収量の低下といった数字に表れる問題よりも、たとえば農民たちが自前で何百年と育種してきた多様な高収量品種が排除され、「近代品種」に単一化されていくなど、農民たちの主体性や「種子の自給」の能力が奪われていったということを問題とすべきでしょう*3。それは、近年の遺伝子組み替え技術による農作物の問題にも通じます。批判するほうは、農薬の問題の場合と同じく、食の安全性ばかり強調しているようにみえます。しかし、低毒性の農薬でも、その技術を専門家が押し付けることが農民の主体性を奪っていったのと同じく、たとえ安全性が証明されたとしても、遺伝子組み替え作物という技術が農民の主体性(および百姓仕事の豊かさ・包括性・多様性)を奪い、製造会社や専門家の支配を促進してしまうことこそ問題なのです。

2-3.「自給」を見直す

 話を日本における「自給」の破壊に戻せば、自給が壊されていく過程で、「百姓仕事の自給」を取り戻そうという動きも見られるようになったと宇根さんは言います。

 農家の自家菜園が減っていったのに、都会では市民農園が徐々に増えてきました。これはどうしてでしょうか。買ったほうが安いのに、わざわざ素人が野菜を栽培するのは、日本の食料自給率を上げるためでもなく、食卓の自給率を上げることが目的でもなく、百姓仕事が楽しいことに都会人が気づいたからです。近代的な労働には失われてしまったものを、百姓仕事に再発見する時代が来たのです。
 この動きとほぼ同じ時期に、村の中に即売所ができはじめました。そこには、有機農産物や自給菜園の野菜などが並びはじめたのです。日本政府の大規模産地育成と市場の統合から見捨てられた、百姓の女性たちのみごとな対抗運動でした。[宇根 2010:104]

 そして、宇根さんは、このような百姓仕事の再発見を促した「自給」の見直しの動きを次のようにまとめています。

 このように、この20年間の自給の見直しは、完全に農林水産省の政策とは関係ないところで、むしろ国家の政策から切り捨てられたところから生まれて、広がっていきました。それは、
 ①ささやかな田畑を守ることによって、家族や村の暮らしをこれ以上、外部の経

  済に依存させないようにする気概のあらわれです。
 ②自然とのつきあいを土台とする百姓仕事にこそ、おカネになる生産性を超えて

  いく希望を見出した人たちの生き方のあらわれです。貧乏でも、豊かに暮らす

  ことができるのではないかという夢が再生してきたのです。
 ③人間中心の社会ではなく、自然と一体となったリズムのなかで生きていく人生

  へのあこがれの表出です。
 したがって、これは「自給したほうが安上がり」だという再評価ではなく、むしろこうした経済中心の考え方は「自給するから高くつく」という主張と何ら変わらないことを見抜いた人たちの行動なのです。[宇根 2010:105-106]

 いまでも農業の改革というと、経済的な問題を中心に論じられることが多いのですが、「自給」の見直しの意義は、そのような経済中心の考え方から離れて農業を考えるということにある、と宇根さんは言います。そして、そのように経済中心主義から離れて農業を捉えることの効果が、「百姓仕事」の楽しさ、快楽の発見だと述べています。

 最後に、自給の定義をやりなおしておきましょう。自給とは、自然と人間の関係が切れていないことをさします。それには仕事の自給が不可欠です。なぜなら、百姓仕事は人間と自然の関係を豊かにする知恵がないと成り立たないからです。自給は、食べものを手にするときに、実感として押し寄せてきます。それをしっかり抱きしめて生きていくことが、自給の楽しさなのです。
 たしかに、すべてを自給自足するわけにはいかないでしょう。一部を分業にゆだねるとしても、そのゆだねる相手が見えればいいのです。つながりを失わなければいいのです。週末に郊外の行きつけの即売所で百姓から購入する野菜で食卓を埋める暮らしは、立派な自給です。こういう自給が大切なのであって、日本国の40%の食料自給率自体が重要なのではありません。[宇根 2010:111-112]

 ここでの指摘で重要なのは、「自給」が自給自足を意味するのではなく、ゆだねる相手の顔が見えるつながりでの分業は、「協同自治=コモン」としての「自給」を意味するという点です。つまり、真正な社会での「分業」は、百姓仕事の自給を破壊しないだけでなく、むしろその自給を維持し促進するものなのです。それは、たしかに市場交換なのですが、真正な社会ではそこに、いわば「分かちあい」とその楽しさという、市場経済にとっては異質なものが生じているということが重要でしょう。

 

 【参考文献】

宇根 豊 
 2010 『農は過去と未来をつなぐ』岩波書店(岩波ジュニア新書)

シヴァ、ヴァンダナ
 1997 『緑の革命とその暴力』浜谷喜美子訳、日本経済評論社

柳田國男
 1991 「都市と農村」『柳田國男全集29』筑摩書房(ちくま文庫)

*1:柳田国男(やなぎた・くにお)
1875~1962年。民俗学者。日本国内を旅して民俗・伝承を調査、民俗学の確立に尽力した。著書に『遠野物語』など。

*2:ノーマン・ボーローグ(Norman Ernest Borlaug)
1914~2009年。農業学者。人口増加に対して少量生産が追いつかないことを指摘し、穀物の大幅な増産(緑の革命)を指導した。

*3:「緑の革命」についての包括的な批判は、シヴァ『緑の革命とその暴力』[シヴァ 1997]を参照。

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