第1回:人類学で現代社会をやり過ごす?

  この連載は、現代社会を少しでも楽しく生きていくために役に立つ文化人類学のもつ独特の「視点」や「考えかた」をわかりやすく示し、皆さんに身につけてもらうことを目的としています。そのために、現代のさまざまな問題に触れた、一般向けの本(新書や文庫になっているものに限定しました)を人類学的に読み解いていくことによって、人類学的視点とはどういうものかを示していこうというやり方を採ってみようと思います。

 取り上げる本はいずれも人類学者が書いたものではありません。目的が、文化人類学の専門的知識を習得するというよりも、文化人類学的な視点を身につけることにあるからです。人類学的視点を解説するなどという目的をもたない本を人類学的に「読む」ことによって、つまり「読みかた」をとおして人類学的視点を浮き上がらせるというやり方を採り、現代社会を生き抜くヒントにしてもらおうというわけです。
 これから6回にわたり、坂口恭平*1さんの『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫)を取り上げて読んでいきたいと思います。が、その前にこれからだんだんに明らかにしていく「人類学のもつ独特の視点」について、すこし解説しておきましょう。

1.人類学的視点って何?

 一昔前までは、人類学というと、一般的には、アフリカやニューギニアのようなところでフィールドワークをするといった、いわゆる「未開」社会を研究するというイメージを持たれていました。けれども、現代では、地球上の諸社会をひとつに結んでいる世界システムから隔絶された、つまり国民国家からも科学技術からも世界の貿易関係からも隔絶されたような「未開」社会などありません。それにともない、人類学者も海外の都市社会や自分の住んでいる社会の現代的なさまざまなテーマを研究するようになり、そのようなイメージは薄れてきています。正確に言えば、実は人類学がフィールドワークを方法として採るようになったころからすでに、世界システムから隔絶したような「未開」社会などなかったのですが。
 では、人類学独自の視点とは何ということが問題になります。いいかえれば、人類学という学問を他の学問から区別するのは何でしょうか。20世紀の最も偉大な人類学者といってもいいクロード・レヴィ=ストロース*2は、1954年にすでに、「人類学は、それに固有の何らかの研究テーマによっては、他の人文・社会科学から区別されない」と言っていました。つまり、よく言われるように、「未開」社会という研究テーマやあるいは「異文化」という対象によって区別されるのではないというのです。では、人類学は何によって他の人文・社会科学と区別されるのかということについて、レヴィ=ストロースは、「世界のある種のとらえ方、あるいは、問題を提起する独特のやり方」にあるのだと言っています。
 この人類学独特の「世界のとらえ方、問題の提起の独特のやり方」とは何なのでしょうか。それを簡単に言うのは難しいのですが、まず人類学独自の視点とは、人類学という学問の生い立ちからきています。その生い立ちによって、人類学に固有の「方法・やり方」が生まれ、その方法論・やり方が、人類学独自の視点をつくってきたのです。そのことは人類学に限らず、他の学問でもその生い立ちがその学問の独自性を決めているといっていいでしょう。学問の入門として、その学問の歴史を習うことがあるでしょう。それは、ただ知識として詰め込むためではなく、その学問独自の方法論や視点がどのように作られたかということを学ぶためなのです。

1-1.人類学の生い立ち

 人類学の生い立ちといえば、最初に述べたように、人類学者は遠いところに行ってフィールドワークをするというイメージがあると思います。なぜ遠いところだったかというと、なるべく自分たちの生活の仕方とは違うやり方をしている社会に行って、その文化の違いというものをいわば武器にして、人類文化の全体像を探るためでした。そのために、例えばアフリカに行き、アフリカでも近代都市ではなく、都市から離れた地域に出かけていったのでした。そのような「フィールドワーク」は人類学に固有の方法でした。自分たちとは異なる生活文化を知るために、そこで生活するという方法を採ったのです。そのようにして採用した「フィールドワーク」という方法から、独自の視点、レヴィ=ストロースの表現を再び引用すれば、「世界のある種のとらえ方、あるいは、問題を提起する独特のやり方」を身につけてきたのです。
 では、フィールドワークによって生まれる人類学独自の「ものの捉え方」、センスとはどのようなものなのでしょうか。現在では、フィールドワークをするのは人類学者だけではありません。社会学や心理学、あるいは経営学などでも質的調査と称してフィールドワークをするようになってきています。だとしたら、フィールドワークという研究方法によっても、社会学などの他の学問と区別できないのではないかと思われるでしょう。しかし、人類学のフィールドワークは、他の学問のフィールドワーク(それらは人類学のフィールドワークを採り入れたのだけれども)とはやはり違っています。それは、人類学のこれまでの歴史からくる違いで、一言でいえば、人類学者のフィールドワークは「住み込み」のフィールドワークなのです。それに対して社会学者など他の人文・社会科学のフィールドワークは多くの場合、「通い」のフィールドワークになっていると言うことができます。
 そもそも人類学者が「住み込み」のフィールドワークという方法を採ったのは、そうすることで人類学的視点が身につくと考えた結果ではなかったのです。近代西洋文明や近代的都市からなるべく遠く離れた、交通の便も悪い地域での生活文化を調査することを選んだ時点で、「住み込む」しかなかったからです。結果として、厚みのある人間理解が可能となりましたが、それが最初から目的だったわけではなく、ほかに方法がなくて採った方法でした。それが、人類学独特の見方やセンスといったものを作り上げたのでした。
 面白いことに、人類学者が遠い「異文化」の調査をかならずしもしなくなり、交通の便が格段に良くなった現在でも、人類学の固有の視点、そして感覚(センス)と結びついた「住み込み」の方法を維持しているようにみえます。つまり、人類学者が自分の住んでいる社会を調査するときにも、やはり人類学者はかならずしも採らなくていいと思えるのに、「住み込み」のフィールドワークをする傾向があるのです。学問の生い立ちというものは、そのような大きな影響を持っているのです(文化人類学史というと、どのような学者がどのような学説を唱えたかといったものを思い浮かべがちですが、大事なのはこういった「生い立ち」を理解することなのです)。たとえば、ジャック・ウェザーフォードというアメリカ合衆国の人類学者が1980年代にワシントンのポルノ街のフィールドワークをしたとき、彼はポルノ・ショップの住み込みの店員として文字通り住み込んだのです(その成果は『ポルノ街』という本になり、『ファーストフード・ラブ』というタイトルで日本語訳も廣済堂出版から出されています)。
 また、たとえば野宿者(ホームレス)のフィールドワークは、社会学者も人類学者もしていますが、そこでもその方法に違いが見られます。大学院生などの若い社会学者は、たとえば彼らを支援するNPOの一員になり、ふつうに家から通って、彼らにインタヴューをするといった調査をするのが一般的です。ところが若い人類学者は、たいていホームレスになるのです!

1-2.「生活者」としてのフィールドワーク

 では、「住み込み」のフィールドワークにあって、「通い」のフィールドワークにはないものは何か。それは「生活」です。人類学者の松田素二*3さんは、「人類学のフィールドワークって何をするのか」という問いに対して、「現地で自分の日常をつくりあげること」と答えています。人類学者のフィールドワークの大半は、「そこで生活すること」に費やされています。フィールドワークと結びついた人類学の「世界のある種のとらえ方、あるいは、問題を提起する独特のやり方」とは、日常的な「生活」のなかで世界をとらえること、そこから人を理解することにあります。つまり、人類学独特の視点とは、「生活からの視点」ということだと言っていいでしょう。
 では、そのような視点は、遠い「異文化」で「住み込み」のフィールドワークをしなければ身につかないかといえば、そうではありません。これからとり上げる本の著者たちは、誰も人類学者ではなく、「住み込み」のフィールドワークもしたことがない人たちですが、そのような視点を持っています。考えてみれば、「生活」は誰もがしています。「住み込み」のフィールドワークは、その「生活からの視点」ということの重要性に自覚的になる契機となりますが、フィールドワークをしなくても、「生活」に自覚的になることはできます。これから、いくつかの本を読みながら、「生活からの視点」がどのようなものなのか、どこにその特徴があるのかを示していこうと思いますが、まずは、フィールドワークと結びついた人類学の「世界のある種のとらえ方、あるいは、問題を提起する独特のやり方」とは、私たちも普段の生活においては、気づきにくいけれども、そのようにしているやり方であり、そのような「生活からの視点」は、小さな地域社会における日常生活においてこそ身につく視点だということを覚えておいてください。

 次回から坂口恭平さんの『TOKYO0円ハウス0円生活』*4を読んでいきます。

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*1:坂口恭平(さかぐち・きょうへい)
1978年生まれ。作家、建築家。早稲田大学理工学部建築学科卒。在学中から路上生活者の家に興味を持ち、「建築物」の視点から調査・研究を始める。2004年に『0円ハウス』(リトルモア)を出版。

*2:クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss)
1908~2009年.社会人類学者、民族学者。ブラジルのインディオの人類学的実態調査を契機として文化人類学に取り組む。構造主義の祖とされる。

*3:松田素二(まつだ・もとじ)
1955年生まれ。人類学者、京都大学教授。特に東アフリカ都市をフィールドにして、出稼ぎ民社会の動態や民族生成のメカニズムを研究している。専攻は社会人間学。

*4:『TOKYO0円ハウス0円生活』(大和書房、2008年/河出文庫、2011年発行)
坂口恭平=著。隅田川のブルーシートハウスに住む“鈴木さん”に密着して書かれた一冊。

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